Toko Suzuki, pianist
勤めていた教会でのコンサート。
地域音楽振興のコンサート・シリーズを作り、教会の子ども合唱団と、詩やダンスとのコラボコンサート、ピアノトリオコンサートと作曲科が生まれた国のお菓子を楽しむコンサートを主婦の方たちとコラボなど、様々な趣向を凝らしたコンサートを企画、演奏者としても出演しました。
他のカトリック教会へも出向いて礼拝で音楽を提供したことも。礼拝での音楽提供は、いつも何かしらちょっとしたハプニングもあったり、曲の必要な長さがその時々で変わったり、バッハの時代を彷彿とさせるもので、なんとなくバッハの気持ちが分かったような気がした瞬間がたくさんありました。
イーストマン音楽学校が誇る、3000人収容できるイーストマンシアター前。ここに学校があります。学生は朝の7:30から夜の11:00頃に大学が閉まるまで、多くの時間をここで過ごします。
イーストマン音楽学校にも教えにいらっしゃっていた、フォルテピアノ復活の立役者、マルコム・ビルソン氏が関西に来られて、マスタークラスを行なわれた時に通訳を努めた時の写真です。
TOKOはどんな人?どんなレッスンが受けれるの?
私は子どもの時、クラシック音楽があまり好きではありませんでした。
それは、とっても退屈なものだと感じていたから。そして、子ども時代の苦い経験。それは後でお話するとして、ピアノよりも好きだったのが、絵を描くことと、本を読むこと。
それでも音大へ進学したのは、私の中にある、人とは違う「何か」を素晴らしいと言ってくださった先生方がいらっしゃったこと。そして、クラシック音楽の面白さ、音楽と、様々な芸術や文化に通じる共通点があって、単に表現方法が違うだけなのだと気づかせてくださった先生がいらっしゃったからです。音大入学当初は、音大を卒業してから美大へと進学するつもりでした。それが音楽へと方向づけたのが、ある演奏家のピアノリサイタルと、カナダでのミュージックフェスティバルへの参加。御年80幾つかだったか、日本での最後の演奏会に来られていました。ひょこひょこっと出てきたおじいさん。ピアノの前に座り、音を出したとたん、ホールの空気が変わり、彼の音楽の世界に引き込まれてしまいました。今まで聴いたことがなかったような音色の豊かさと躍動感。感動でした。
「この音楽の力って一体何なんだろう?」
カナダのミュージックフェスティバルでもそうでした。演奏者、聴衆が一つになって呼吸をし、まるでポップスのライヴのような妙な一体感がある。ある演奏では、まるで「音楽の神様」が降りて来られたように、何とも言えない静寂の中で、奏でられている音楽が人々をひとつにし、別の時空を旅しているような、そんな不思議な感覚にさえ落ち入りました。どうしてそんな音楽が生まれるのか?それが留学のきっかけでした。
私がアメリカで出会った先生はユニークな人たち。ワイオミング大学で師事したDr.Gary Smartはクラシック音楽のピアニストだけでなく、作曲家であり、ジャズピアニストだったので、作曲も教わり、伴奏要員としてフェローシップを頂いていたお陰で、多くの他の楽器の先生からも教えて頂いたり、一緒に演奏する機会を持てました。また、同じ建物内に美術学部もあったので、スケッチのクラスを一般教養で受講したところ、副科として絵画を勉強することを勧められ、絵を描き、ピアノを練習するという夢のような生活を送りました。
イーストマン音楽院を受験した最初のきっかけは、自分が音楽の技術的に足らないことばかり目立ち、やっぱり技を磨かないとダメだと思うようになったからです。3校受験したうち、ラッキーにも入学を認めてくれたのが長年全米音大ランキングNo.1を誇るイーストマン音楽院でした。しかし、この大学を受験校の1つに選んだのは全米でも有数の音大だからというわけではなく、たまたまワイオミング大学でのコンサートにいらっしゃったオルガニストの先生に「先生と生徒の関係が良く、殺伐とした環境ではなくて、アットホームな雰囲気ではあるけれど、しっかり学べる。マンハッタンにある大学より、薦める。」とおっしゃってくださったからです。
そのイーストマン音楽院で偶然師事することになったのが、Prof. Barry Snyderでした。最初はどんな人なのだか不安でしかたがなかったけれど、ピアノを演奏する音を聴いて「これだ!!」と。多彩な音色の上、それを技術的にどうやって出しているのか、体はどのように使っているのか、説明ができる方でした。室内楽でも多くのオファーがある先生の譜めくりを長年努めたり、アシスタントとしてスタジオの学生の指導補助をしたり、浜松でしばらく行なっていたイーストマン音楽院の夏期セミナーで通訳を務めていた経験から、指導法や音色の出し方について、自分のものとして消化していく機会を沢山得る事ができました。19世紀ヨーロッパの古き伝統を受け継ぐ先生に師事されたProf.Snyderは、音色に関してとても繊細で、それぞれの作曲家にはそれぞれの音がある、強弱はモノトーンで大きい小さいだけではない、というのが口癖でした。だから、pでも様々なpを要求され、またペダル使いにも大変敏感な先生で、4つの脳があっても足りないくらいの情報量を瞬時にこなしていくのに長年、圧倒されていましたが、自分で演奏を考えるようになって初めて先生がおっしゃっていたことが理解ができるようになりました。
もうひとつ、今の指導方法の原点となっている大きな出来事が博士号取得のための試験勉強とカトリック教会でのオルガニスト兼伴奏者としてのお仕事です。英語は話せても読み書きが得意ではなかった私は、そのテストに何度か失敗し、非常に苦労しました。結局、そのテストでは日本でそれ程理解できていなかった音楽史や音楽理論の知識力が問われていたので、大学で学ぶところからやり直し、実践演習を重ね、ようやくパスすることが出来たのです。最初は辛かった勉強も、少しずつ理解出来ることが増えるにつれ、どんどん面白くなってきました。そして、演奏をする上でも、彼らの文化史を知っておくことがいかに大事かと考えるようになりました。これが、音楽史や楽曲分析を組み合わせて演奏技術を磨くという、今の私の指導方法の原点となります。
音楽史を理解する上で大きく役立ったのがカトリック教会でのオルガニストの仕事です。中世の時代から殆ど変わっていない典礼のスタイル。それを実際行なうことで、書物の中の世界でしかなかった音楽史がよりリアルに感じられるようになりました。「祈りと共にある音楽」がどういうものであるかも肌で感じました。また、オルガンを弾くことで、旋律の聴こえ方も変わってきました。ペダルに頼るピアノ。でも、ペダルに頼れないオルガン。ピアノならペダルでごまかせることを、横の旋律をつなぎ、どう処理するかを考えないと音楽がぶちぶち切れてしまうオルガン。音楽を縦のラインである和音だけでなく、対位法的な横の旋律が複雑に絡み合って生まれる音楽の面白さが聴こえてくるようになったのです。
私は子どもの頃から「ピアニストになりたい!」という夢を持って、ピアノに向かってきたわけではありませんでした。それは子どもの時、コンクールで失敗したり、「ぜんぜん基礎ができていない」などという審査員のコメントが心に刺さったからでした。私の場合、いつも審査員の講評はまっぷたつ。「ダメ」と完全否定する審査員がいる反面、良い所を見つけて褒めてくださる先生がいたり、特に嬉しかったのが、本場ヨーロッパの先生やアメリカ人の先生が「人とは違う何か」を褒めてくださったこと。今思うと、彼らは「褒めて伸ばす」ことを知っている先生も多いからなのだと思いますが、そのお陰で辞めることはありませんでした。
それでも、マイナス面を指摘して、直すことを求める傾向が強い日本の音楽教育。大学まで行くと、「ミスが多い」「テクニックが弱い」など、ずっと自分のマイナス面ばかり気にしてきた気がします。それが原因で、本番前の極度の緊張や、無理な使い方により手を壊しかけたり、色んな経験をしました。それを少しでも改善しようと、イーストマン音楽院時代に受講した講座が「ウェルネス」の授業です。この授業を取る中で、スポーツ選手と同じように、音楽家も体の使い方やメンタルトレーニングが必要だと実感するようになり、自分で様々な本を読んだり、ほぼ独学ではありますが、コーチングの勉強するようになりました。まだまだ完全に把握できているわけではありませんが、この授業を通じて、体の動きを見ただけで何処に無理な力を入れてピアノを弾いているか分かるようになったし、生徒にどんな言葉がけをすれば、心を開いて前向きに自分で考えながら練習にも楽しく取り組めるようになるのか掴めてきたような気がします。
今の私の指導方法は私のこれまでの経験が組み合わさって出来上がっています。どんな曲でも、その世界は1つのドラマ、或いは絵画だと思っています。たとえば、同じ風景を観て絵を描いたとしても、ゴッホとモネはタッチが違うから同じようにはならないわけです。そこが個性だと思っています。それをどんなふうに描きたいと想像しているのか。作曲家自身であったり、その時代だからこそ感じていたこともあるでしょう。それをいかに自分なりに解釈し、表現したいと感じているのか。自分の心に描いている情景や思いは不思議なくらい音に出ます。だから、まず、その曲をどんな曲だとイメージしているか、たくさん質問して、曲を「描き出す」お手伝いをすることにしています。音色は多彩であればある程、音のパレットが広がり、可能性もぐんと広がります。それを可能にするのが、自分の体を自由にコントロール出来る技と安定したテクニックです。
テクニックとは単に機械的な練習で指を均等に動かす鍛えることではないと考えています。テクニックはあくまで自分が出したい音を出したい場所で自在に操れる技術。指の上げ下げ、手首、肘などの動かし方、右手と左手の組み合わせ、そしてペダルの細やかな使い方で多彩な表現が可能になります。最初は常に頭で沢山の事を同時に考えないといけないので、不可能のように感じますが、ある日突然、自分が「こんな音を出したい」と思うだけで、自分が意図する音を知識的に考えなくても、体が勝手に反応するようになります。
そして最後に鍛錬すべきは心。自分が表現したい音楽を、必要な時に、どんなシチュエーションでも自信を持って発信できる、そんな強い心も同時に育てます。感情が入り過ぎてうまく体をコントロールできなくなったりするのですが、そういう時はきまって体が自然と硬くなっています。演奏家の仕事は音楽を届けること。自分の思いを反映しつつも、冷静に音楽を紡ぎ出すことに集中できるようにするには、気持ちのコントロールも大切です。また、1万回弾いていたとしても、いつもその曲に自分自身が感動していないと聴き手が感動するような演奏にはならないものです。観客をドキドキさせる、活き活きとしたパフォーマンスができるよう、導いていきたいと考えています。
こうやって文章化すると、非常に理屈っぽく、難しいようにも聴こえますが、実際は、いつも常に新しい発見が多く、皆さん練習を楽しみながら、意欲的に取り組んでおられます。
「昔は嫌いだった練習が、本当に楽しくなりました!」
「どんどん自分で考えるようになりました!」
皆さんよくこうおっしゃってくださいます。表現することの楽しさ、練習することの楽しさにつながるレッスン。これが私のモットーです。